2018年11月01日

【55】欧米人好きなワタシ(2) 家の中で自分の飲み物や食べる量を選択させることに対する考察

シリーズ9:「欧米人好きなワタシ」(2)

家の中で自分の飲み物や食べる量を選択させることに対する考察


 シリーズ「欧米人好きなワタシ」の第二回目のテーマは、「家の中での飲み物、食べ物や食べる量を選択させること」に関しての考察です。これは、親と子の関係だけでなく、妻と夫の関係、お客様とホストの関係にも広がる大きなテーマですが、今回は主に、親と子の関係に関して比較してみます。

というのが、「家の中での飲み物、食べる量を選択させるかどうか」は、最初は赤ちゃんだった我が子が、成長していく家庭での親子の関係に密接につながったり、子どもが自分のコミュニケーション能力を育むことにつながったりと、意外と大切な要素になっていると思うからです。

 具体的に書きますね。例えば、日本人家庭の3歳児のいる家庭の場合、子どもが外遊びから戻ってきて、手を洗った後の「おやつの時間」に飲みたいもの、食べたいものを、子どもに聞く親は、あまりいないと思います。(昔の日本のロンパールームというテレビ番組でも、子どもは全員、無条件に牛乳をもらって飲んでいましたよね〜。ってこんな古い話、もう誰も知らない?苦笑)

特に我が子の場合、親は「このぐらいの量の牛乳、このぐらいの量のお菓子が適量」と決められるので、子どもに量を聞くようなこともなく与えるのが、日本での日常の風景ではないでしょうか。

 一方、欧米人のお家にホームステイして驚くのは、相手が幼い我が子であっても、「今は、何が飲みたい?(量はこれくらい?)」とか、「何が食べたい?(量はどうする?)」と、聞くことが多いことです。少なくとも、私の観察したご家庭では小さい子どもにも聞いていました。

我が子に対してもそういうことを聞くのですから、他人の子どもに対してや、大人のお客様に対しては、かなりしっかりと聞いてから、飲み物や食べ物を用意することになります。

「今、我が家にある飲み物は、コレとコレとコレだけど、何がいいですか?」「どのくらい飲みたいですか?」「我が家には、脂肪分ゼロの牛乳しかないけど、コーヒーに入れる?」

などと、事細かく聞かれるのですよ。ホームステイしていると。まるで、ファーストフード店の窓口みたいに。

その時、日本式に遠慮して、「私はいいです(いらないです)」などと、まずは軽く否定しようものなら、飲み物は欲しくないのだと即座に判断されて、二度と聞いてもらえないというわけです。その結果、他の人の飲むコーヒーのよい香りの中で、何も飲み物がもらえずに悲しい思いをするというのが、日本人が最初に欧米人の家庭に行った時に経験する定番ではないでしょうか。私も経験しました。

私が知っている限り、欧米家庭では「自由に冷蔵庫を開いて、自分が飲みたいものをコップに入れて飲みなさい」とホストファミリーに言われるのも普通です。さらには、家族が各自のボトルにそれぞれ好きな飲み物を入れたものが、常に冷蔵庫に入っていて、喉が渇いたら各自がそのボトルを取り出して飲むというご家庭に、ホームステイしたこともあります。夏場、頻繁な水分補給が必要なので、洗うコップの数を減らすために、そういうシステムにしているということでした。

欧米の家庭の場合、飲み物だけではなく、食事に対しても、子どももある程度、選択権を持っているようです。料理は家族で同じものを食べるとしても、食べる量は、本人のその日の体調によって決めてよいようで、大皿から自分が食べたい量を取って、次の人に回すというスタイルが一般的なようです。まだ幼い3歳児の場合だと、子どもの分は親が大皿から入れたりしているのですが、「このぐらいは食べれるよね」などと聞いて、本人の了解を得て、量を決めているのも、日本人の私の目には新鮮でした。

私が育った純日本人の家庭では、料理はすべて小皿に盛られて家族に提供されていましたし、飲み物やお菓子も、子どもが選択するような場面はほぼありませんでしたから。何度も書いて恐縮ですが、親は自分の子どもに対して、「このぐらいの量の牛乳、このぐらいの量の料理が適量」とわかっている(決める権利を持っている?)からです。というか、赤ちゃんの時からそれに従っている子どもは、自然とそれが適量になるように思います。

その結果、親にとっても子どもにとっても、日本人家庭のやり方の方が楽です。特に子どもが小さい時期は、飲み物や食べ物に限らず、すべてを親に任せておけば、だいたいのことがうまくいくものだからです。

ただし、世の中には、アレルギーがあって牛乳が飲めない子ども、コーヒーを飲むとトイレに行きたくなって困る大人、緑茶が飲めない外国人など、いろいろな人がいますよね。そういう人が、家では黙っていても配慮してもらえている場合、外にいるときには、毎回、勇気を出して「私は別物でないと飲めません」と、言わなければいけません。

家だと自分に最適なものが、黙っていても出てくる日々に慣れていると、外で毎回、そういうことを言わなければいけないというのは、苦痛だと思います。私も欧米人の家庭に滞在するたびに、いろいろと聞かれたことに返事しないといけないことに苦痛を感じたものです。

「私はなんでも食べれる(アレルギーなどはない)!
出されたものはすべて飲んで、すべて食べるから、
いちいち聞かずになんでも出してちょうだい!」

と叫びたい気持ちになったものでした。

でもね、ある時、気づいたんですよ。飲み物、食べ物に限らず、人生は選択の日々ですよね。自分で選択してみて、その結果がでた後で、「あー。やっぱりこうすればよかったのかなぁ〜」と考える経験を積み重ねて、人間というのは独立した大人になっていくのではないのかな、と思うわけです。それなら、子ども時代に、家庭で飲み物、食べ物でその訓練ができるのであれば、やっておいて損はないのではないかと、今の私は思っています。

また、このエッセイの最初に、「家の中での飲み物、食べ物の選択権」は、親と子の関係だけでなく、妻と夫の関係、お客様とホストの関係にも広がる大きなテーマだと書きました。それは、妻が夫のその日の体調を予想して、料理や飲み物を用意することはしょせん無理だと、やっぱりある時期、気付いたからです。逆もまたしかりです。夫は妻がその日、どんな風に過ごし方を知らないのですから、食べる量は決められないのではないでしょうか?お客様に対して、ホストがお客様のアレルギー体質や体調を予想するのはもっと無理です。

なので、最初から何でも相手に聞くという、欧米人のやり方を、私も日本でも採用しよう!と決心してからの方が、夫との日々も、お客様を接待する時も、気持ちが楽になりました。顔色を見ながら判断するより、聞いた方が確実でしょうから。

そして私は、自分の子どもに対しても、「飲みたいものは、自分から言わないと、出てこないよ。私はそんなに親切な親じゃないんだからね。」「飲みたいもの、食べたいものが家にない時は、自分で買って欲しいとリクエストしないと、出てこないよ。私が食べたいものと、あなたが食べたいものは、親子であっても違っていて、当然なんだからね」と言うような母になりました。
 
これは絶対に、欧米人のお家にホームステイしたことの影響です。

さらに、この話に関係して、「察しの悪い大人になることが、子どものコミュニケーション能力を育てる」と私が思っていることについては、以前、以下のエッセイに書きましたので、興味のある方はそちらもご覧ください。

【16】シリーズ4:「私の子育てに役立ったと思う本」の紹介(1)
『論理的に考える力を引き出す』三森ゆりか著、一声社、2002年発行

では、また。よしこママでした。



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posted by よしこママ at 14:28| 日記